W燕市産業関係団体・施設 |
燕商工会議所 |
所 在 地 燕市大字東太田6856番地 |
商工会議所の沿革 |
古くは徳川幕府時代の江戸で町会議所制度から始まり、災害対策及び社会事業又は産業界全般の発展に寄与する目的をもって民間自治機関として活動を展開したものであります。 |
燕商工会議所の現況 |
現在の日本経済及び社会情勢は歴史的構造改革の時代、東南アジア諸国との水平分業の進展に伴う産業構造の転換を始めとして、燕商工企業を取巻く経営環境は大きく変化しております。地場産業としては経済環境の変化に柔軟に対応しつつ、既存産業の一層の競争力の強化や、新産業の創出を図る等の課題が主要となりつつあります。 |
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日本金属洋食器工業組合 |
所 在 地 燕市新町4360−1 |
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日本金属ハウスウェアー工業組合 |
所 在 地 燕市物流センター1−1 (現在燕商工会議所内) 設立 年月 昭和39年7月 |
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燕商業卸団地協同組合 |
所 在 地 燕市物流センター1−15 |
組合事業の概要 |
昭和47年燕市に上越新幹線(燕三条駅)開通並びに高速自動車道インターチェンジ(三条燕)設置の決定を機として、新時代に対応した地場産業発展の基盤整備を図る目的として、地場産業卸業者、配送機関、サービス機能を集約した「物流センター」の造成事業を計画することになりました。 |
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(社)燕西蒲労災防止協会 |
所 在 地 燕市大字東太田字杉名田6557番地 |
設立の趣旨 |
新潟県の中央に位置している燕市、吉田町を始め近隣町村は県内有数の工場地帯として発展を続けてきました。近代化促進事業による工業団地化の促進により着々と近代工業都市の歩みをつづけてきました。その主要産業は金属洋食器、金属ハウスウェアーを主体として、広く内外に市場を求め飛躍の一途を辿って発展してきました。 |
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(社)新潟県労働衛生医学協会燕検診センター |
(社)新潟県労働衛生医学協会 |
所 在 地 新潟市川岸町1−39−5 |
燕検診センター |
所 在 地 燕市大字東太田字杉名田 |
医学協会設立の主旨 |
労働基準法に定められた労働者の健康を守るための定期健康診断、職業病に対応する特殊健康診断と併せて成人病の検診の必要性が叫ばれた社会情勢を背景として検診機関の設立が強く要請されました。 なお労働者の健康を守るためには健康診断のみならず、職場環境の改善、健康教育の啓発指導の要請もあり、新潟県当局、新潟県医師会、新潟県労働基準局、新潟大学関係者の御理解と御指導のもとで、県下の会社、工場の協力を得て、昭和37年5月県下労働者の健康と県民の健康づくりの期待を担って労働省認可の社団法人として本協会が設立されました。 |
医学協会の事業 |
1.事業場に働く労働者の健康診断、環境改善 |
医学協会35年の歩み |
労働基準法に定める健康管理実施機関として、県下にその事業展開して35年、県下各事業所、会社の定期健康診断、特殊健康診断の巡回検診事業の拡充並びに地域住民の成人病検診に多大な成果を上げ、下記の通り県下各地に健康管理に対する病院センターを開設して所期の事業達成、及び県下地域住民と働く労働者の健康増進に多大な成果を上げて今日に至っております。 |
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燕市産業史料館 |
所 在 地 燕市大曲4330-1 |
昭和43年8月燕産業史料保存会が設立され、以来産業史料の蒐集と史料館建設に当たりました。 |
丸山コレクション矢立煙管館 |
日本のライター業界の育成に大きく貢献された、燕市出身(旧燕市仲太田)の丸山清次郎がその半生をかけて蒐集された煙管(きせる)、煙草入れ(たばこいれ)、矢立等の逸品で、特にこれ等に用いられた製品や金具に優れた彫刻彫金が施された江戸時代からの有名作家の作品や、歴史的人物の愛用品が高度な工業技術の時代の今日、最後の光芒を放った日本独特の工芸品として、その異彩を放った伝統的な喫煙具の丸山コレクションは、職人文化の町燕市にその文化遺産として、氏の郷土の産業史料館の別館として昭和59年8月完成して、以来同館に常時公開展示されております。 |
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金 山 神 社 |
所 在 地 燕市南町3丁目 |
金山神社の沿革 |
@金山神社は昔から鍛治の神さまとして敬神されておりました。事業所、会社の事務所、個人の作業場には必ず祀られて、毎年11月には金山講として仕事を休んで、商売繁盛、家内安全を祈願し、職人や従業員には冬支度の衣食品や酒食を差し上げて感謝の意を表したものであります。 A燕市産業の発展に伴い、戸隠神社に分祀されてある金山 神社を創祀するため、当時の業界人遠藤松次郎、小林鉄之助が発起人となり社殿の建立計画が図られ、業界有志の賛同を得て昭和4年4月燕市南3丁目に建立されたものであります。 B祭祀された金山神社の御神体は岐阜県にある南宮大社により鍛治の神の守護神として仲山金山彦命分身が祭祀されたものであり、以来毎年11月初旬金山講として業界の年中行事として盛大に例祭が行われておりました。 しかしながら昭和の年代に入り戦時戦後を経緯して昭和50年頃の神域、社殿はその存在も失われかねない程破損が甚だしく祭礼も行われないままの荒廃した状態でありました。 Cこの状況を憂いて昭和51年6月南丁目星正吉、白山町1丁目荒澤茂市が発起人となり、業界代表、南町区民代表に相謀り、金山神社再建と神社管理機構として金山神社奉賛会を設立し、又南町区民から氏子総代会を発足して、金山神社社殿の大修復工事、神域境内の整備完工するに至りました。以後年次計画により、神社社務所建設、拝殿の増改築、本格的子供もみこし3期奉納等を実施し、燕市産業界の守護神として又、南町地域住民の氏神として、例年春秋の二回の祭礼は盛大に挙行され今日に至っております。 |
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燕工業殉職の碑 |
燕市工業発展の陰には幾多の先人達の尊い犠牲と功業を讃え、その慰霊のため、当時の業界人遠藤松次郎、小林鉄之助が発起人となり、業界の多数の有志の協力により昭和9年4月「燕工業殉職の碑」が建立され、以来金山神社際典とともに毎年慰霊祭が行われてきました。 |
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