U燕市産業50年の歩み |
金属洋食器工業 |
金属洋食器工業−2 |
貿易再開までの業界の状況 |
昭和20年終戦と同時に社会混乱と、経済の壊滅、生活生産物資の欠乏と金融通貨不安、破壊的超インフレ等あらゆる悪条件の状況下にありました。 |
輸出再開とアメリカ業者輸入制限提訴の動向 |
昭和24年貿易再開以来、ステンレス製洋食器は海外から意外な好評を得て、順調に輸出実績が進展していたところ、昭和25年からの挑戦動乱の影響により、輸出は急激に拡大して、その輸出比率が50%に及び、アメリカの洋食器製造業者は危機感をもってメッセージを訴えはじめました。 |
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米国対日輸入制限問題 |
対日金属洋食器輸入制限提訴問題 |
近年において日本製品の急速な輸入増加により、アメリカ洋食器業界は危機的な状況の被害を受けているとのステートメントを発表し、昭和34年4月ころ脅威を防ぐため必要な措置として関税委員会に提訴いたしました。 |
米国の輸入制限に対する日本側の対策 |
@中小企業安定法により業種指定を受け、全国組織として、日本輸出金属洋食器調整組合を昭和32年7月に設立して、自主調整期間として組織を確立した。 A昭和33年1月「米国輸入制限反対市民決起大会」を市民業界かい関係者3000人以上の参加のもとで開催し、大会決議として「制限反対」を強く訴えた。 B昭和33年2月市長初め官民業界代表10名の陳情団は「輸入制限反対陳情」のため渡米。 Cアメリカ政府、日本政府、新潟県並びに関係当局に反対陳情をした。 政府関係当局は輸出貿易管理令により、金属洋食器を承認品目に指定し、関税問題に積極的に行動を展開した。 D日本側は昭和32年1月から年間出荷数量590万打(昭和33年1月から550万打に調整)の自主規制し輸出することを発表した。 Eアメリカ政府は昭和34年10月から年間輸入数量575万打の関税割当制度を実施することを発表した。 但し・3弗以下のもの並びに長さ12吋以下のものとする。 ・割当超過したものは高率関税50%とする。 ・輸入数を制限実施期間 昭和32年11月〜昭和42年月 昭和46年10月〜昭和51年月 ・輸入数を制限廃止期間 昭和42年10月〜昭和46年9月 |
昭和39年以降の輸入制限状況 |
@昭和39年9月 輸入反対陳情のため市長並びに業界代表の陳情団を編成渡米 A昭和40年10月 米国は輸入数量7000千打に拡大 B昭和42年10月 米国関税割当制度廃止 C昭和45年9月 米国輸入制限再通告に対し市民反対決起大会参加人員8000人をもって開催。 D昭和45年9月 輸入制限撤回交渉のため市長並びに業界代表名再度渡米 米国関税割当制度後括決定 米国が世界各国からの総輸入数量16.000千打 内日本からの輸入数量11,000千打 F昭和49年10月 年間6%増数 G昭和51年9月 米国関税割当制度廃止決定 H昭和52年12月 米国洋食器製造業者再度輸入制限提訴 I昭和53年6月 米国大統領裁定により自由化決定 J昭和58年12月 米国洋食器製造業者再々度輸入制提訴 米国ITCの判定で再度自由化決定昭和51年9月関税割当制度廃止以後現在自由化で出荷されています。 |
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工業組合事業の大要 |
ドルショック・オイルショック対策 |
昭和46年8月米国は貿易収支悪化防衛対策として、ドルショック新経済政策を発表しました。 |
円 高 対 策 |
昭和49年(1974年)戦後最大の不況で、実質成長率は0.2%の最低となりました。 |
海外市場開拓並びに市場動向調査 |
@海外市場の開拓並びに動向調査は組合設立以来、主要事業として毎年調査地域を定めて、年次計画として調査団を編成し、当該調査国の経済動向、市場調査及び工場の研修見学等を実施して、関係当局とともに組合員に周知報告し、輸出市場の安定、開発に努め、輸出対象国は百数十ヶ国に及び国の輸出振興対策に多大な成果を上げることができました。 A昭和50年以後はアメリカ、カナダ、アジア各国、中近東アフリカ、ヨーロッパ各国、ロシア等の各国へ調査団を派遣し、市場の動向、調査研究を続行しております。 B海外商品別貿易会議開催 此の貿易会議は通商産業省の指導のもとで金属洋食器について、海外各国において実施されたものであります。 |
デザイン審査会 |
中小企業団体法によるデザイン自主登録制度を適用して昭和42年から平成6年12月まで、毎年審査人を組合員及び学識経験者の中から定時総会に選任して、デザイン審査会を制定し、下記要項のもとで輸出向金属洋食器のデザイン認定を実施しました。 |
産業機械開発・改善事業 |
技術の進歩とともに生産工場の改善、省力化、合理化、等の生産構造改革の推進に当り、高度な性能を有する機械の開発、改善のために、関係官庁の協力と助成のもとに、毎年度産業機械開発事業を実施しました。 |
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業界の現況と今後の推移 |
業 界 の 現 況 |
業界は為替状況や海外の生産増加による内外の情勢がきびしい中で、生産販売に努力しているが、一部輸入品もあって業績は減退しています。 |
内外の生産と価格の状況 |
特に東南アジア諸国の海外生産が増加して、国内生産は減少の状況であり、輸入品の漸増に伴い価格の上昇は抑制されております。輸入は中国、韓国、台湾等のアジア諸国が主体となっています。 |
海外進出企業の状況 |
中国、マレーシアに生産工場を進出、米国において現地法人として販売会社を進出しており、また韓国、中国に生産委託して第三国や国内に輸出している企業もあります。当該企業数は一部分に過ぎないが、最近では生産工場を撤退しているところもあります。 |
今 後 の 推 移 |
戦後50年半世紀を経過した今日、これから21世紀の新情報時代を迎えようとしている現在政治、行政、経済とあらゆる分野に亘り構造の大改革が求められており、我々業界も産業構造改革とともに次世代を担う若い智力と活力をもって事業の展開に期待されています。業界は当面次の対策を推進し業界の進展を期しております。 |
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金属ハウスウェアー工業 |
業界の沿革 |
金属ハウスウェアー生産技術の工法は、燕特有の伝統で継承された銅器づくり金工技法に求められて始まったものであります。このハウスウェアーの源泉と云われている銅器は、アルミ製品進出による影響と、実用向けとしてステンレス製品の普及によりその面影もほとんどなくなり、現在では貴重な工芸美術品として保全されております。 昭和年代に入り生活様式も逐次和洋タイプに移行されてその生活用品として一部取り上げられて器物作りが始められたと云う。当事国内や海外に一部出荷されたが、数量表示できる程の生産状況ではなかったと云われております。 戦後物資不足の時代の中で以前から器物を手がけておられた葛ハ虎堂製作所他、2〜3の業者が器物の生産を始められ、この業界も洋食器と同じくステンレス材料に製品が切換えられ、以来ステンレス材料メーカーの技術向上により作り易い材料が供給されるようになりました。また加工技術も改善改良され、生産商品開発が急速に拡大し、内外からの需要が旺盛となり業績進展の要因となりました。 昭和33年頃から洋食器業界の諸外国から輸入制限問題に影響して、ハウス業界は加速的に生産業者が増加し、器物、キッチンツールと多用化時代に対応して、その市場を国内と海外に求め、積極的に販売開拓を展開してその業績は年々急上昇すると共に、新産業として内外にその地位を高め業界は大きく発展に至りました。 |
工業組合の設立 |
当時の業界のキッチンツール関係製品の出荷が25億円程度となり、業者の製造販売秩序の確立と相互協調をもって健全な業界発展を期するため、昭和39年燕・東京・関西地区業者の賛同を得て、全国組織態形の日本輸出キッチンツール工業組合を設立・通産大臣の認可を得るに至りました。 |
工業組合の大要 |
近代化促進事業 |
昭和38年中小企業基本法による対策として、中小企業近代化促進法制定によって、構造改革を三次に亘る長期計画が実施されることになりました。 |
@第一次近代化促進事業 |
個別企業の近代化と、団地形成産地産業を拡大充実を図るための実態調査実施 |
A第二次近代化促進事業 |
金属産業の経営の合理化、生産の適性在庫の近代化のため工業団地造成となりました。 但し燕地域の工業団地造成は産地近代化事業と公害対策事業の二本柱とした、産地独自の工業団地施策となり当組合関係の団地造成次の通り達成しました。 ・地域設備・土地建物 43億6千万円 ・土地投資実績 39億6千万円 ・達 成 率 91% |
B第三次近代化促進事業 |
1)新商品デザイン開発 |
産地中小企業対策臨時措置事業 |
昭和52年円高為替相場の急騰により、輸出地場産業に多大な影響を与えたため政府はこの救済措置として、産地中小企業対策臨時措置法を昭和47年7月公布された。 |
輸出品デザイン法 |
昭和41年輸出品デザイン法、特定貨物指定の認可を受け、昭和42年2月から実施平成9年3月制度廃となりました。 1.目 的 ・意匠の模倣 ・意匠盗用防止対策 ・過当競争の排除 ・国際輸出市場の確立 ・海外の輸入制限防止対策 2.審査方法 ・審査人は関係官庁担当官、商社、製造業者から夫々選任される。 ・審査会は特許庁担当官立会の上実施。 ・審査会は毎月1回定例開催。 ・審査会登録審議申請は毎月1回規定された日限までに申告すること。 ・審査の結果登録認定となったものは、他人の侵害を防ぐため組合で保全されました。 3.効 果 ・輸出商社からの買叩き排除 ・製造業者間の過当競争排除 ・国際デザインのトラブル発生防止 ・特許庁のレファレンス制度の適用品として、意匠登録申請1ヶ年以内に意匠登録の 可否が決定されることになりました。 ・新製品開発に成果がありました。 |
其の他事業 |
@昭和58年 ・国内向け商品の意匠登録の摸倣防止のため新潟県産業デザイン振興会金属ハウスウェアーデザイン保全部設立。 A昭和61年 ・家電及び建築器材等の転換分野の調査。 平成元年・新開発不銹性銅合金による商品開発組織を設立しました。 B昭和61年 ・事業転換実施組合員5社に対し高度化 平成4年 資金無利子資金融資が確定実施されました。 C平成5年 ・特定中小企業集積活性化臨時措置法により、高齢用具開発・街路装備モニュメント・環境関連機器開発事業実施 D平成6年 ・中国、東南アジア全域市場調査のため 視察団派遣等継続実施中であります。 |
業界の現況と今後の推移 |
金属ハウスウェアー業界は輸出最盛期の40年代は輸出依存度は50%前後に推移しておったが、金属洋食器の輸入制限問題もあり、また世界経済の変動や輸出相手国の情勢の変化により、受注生産の輸出は常に国際的に不安定の現況は止むを得ない実情であります。 また50年以降は発展途上国の輸出追上げは年々急速な状況で進行しており、円高コスト高では到底競争に追いつけない状況であり、輸出の減退は免れない状況であります。幸いハウスウェアー業界は実績に示してあるように輸出オンリーの業界は少なく、内需、外需を並行しており、最近では輸出比率は低く年々減少しており、昭和50年代は30%,60年代は20%、平成年代は10%前後に移行し、その輸出影響を最小限度に止めるに至っております。 業界は健全な安定経営を目途として輸出依存度は最小限に止め、新製品の開発による国内市場にその販路を求め、また生産技術の水準も向上し併せて設備近代化、省力化により多能的生産性をもって、新分野、新産業に進出して多大な成果を上げ、今後一層の発展を期しております。 |
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